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2022.10.3掲載  社説「時々刻々」

国葬の意義、事件を風化させるな

論説委員長 田村耕一

 日本人は、礼節を重んじる民族と思われていたはずだが、違うらしい。安倍元首相の国葬に対する反対派の行動は、愚劣で恥ずかしい限りだ。比べるべくもないが、先のエリザベス女王の葬儀での英国民の対応を見たとき、わが国はどうなってしまったのかと思う。
 これが戦後の民主主義というものか。故人を偲び、静かにお送りすることさえもできないらしい。国葬に反対し、騒ぎたてる政党、メディア、自称文化人、反対行動派と、いつもの面々である。また、それらに感化されやすい国民の側にも問題があろう。国葬に関する調査で、はじめは賛意を表していたものが、時間がたつにつれ、反対派が多くなっている。ポピュリズムという厄介な病が蔓延するなか、これを政治の道具にしている勢力があるということだろう。
 ただ、良識のある多数は、故人の冥福を祈り、わが国に尽された数多くの成果と業績に感謝をした。悲劇の場となった奈良では、心ある大勢の方々が弔意を示すべく訪れた。国葬は、米、豪、印をはじめ各国の首脳が数多く参列し、安倍元首相の業績と人柄を称えた。とりわけ注目を集めたのは、安倍元首相に官房長官として長く仕え、最もよき理解者であった菅前首相の友人代表の弔辞だろう。
 印象深かったのは、衆議院会館の安倍事務所に置いてあった読みかけの本のくだりである。その本は「山縣有朋」(政治学者岡義武著)で、折り込みがあり、傍線があった。そこには、伊藤博文を悼み偲んで詠んだ歌が書いてあったという。
 小欄は、安倍元首相と伊藤博文の共通点を格別に感じた。それは、二人が長州人であること、首相を務めたこと、志なかばにして凶弾に倒れたことである。いまさらであるが、伊藤博文は初代首相として近代日本の形づくりに尽力された。
 安倍元首相は、先の大戦によって失われた日本を取り戻すべく尽された。共に、日本の礎となられたのである。故人の遺志は、菅前首相、岸田首相らが銘して果たしてほしい。  一方、安倍元首相の業績を称え、この事件を風化させることなく、再びこのような惨劇が起こらないよう、何かしらの「モニュメント」を奈良の地で造ろうではないか。政、官、財、民が知恵と力を合わせ、このことに取り組むことが、われわれの務めであろう。


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