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2021.8.2掲載  社説「時々刻々」

「令和の三四郎」誕生の裏で 五輪3連覇の偉業へ国民栄誉賞を

論説委員 寺前伊平

 新型コロナで1年延期され、先月23日に開幕した第32回夏季五輪東京大会は、残すところ1週間を切った。日本人選手の活躍で連日、メダルラッシュが続いている。何よりも頼もしかったのは、天理大出身の大野将平選手が、柔道男子73㌔級でオリンピック2大会連続の金メダルを獲得したことだった。
 天理市内の柔道場で大野選手と初めて言葉を交わしたことを思い出す。平成27(2015)年の世界選手権を制覇した後だった。「何と精悍(かん)な青年だろうか」と瞬間、将来の日本の柔道を背負って立つ選手の一人になると直感した。
 既に社会人の旭化成入りが決まっていたが、1年後のリオデジャネイロ五輪で見事、頂点に立った。そして、今回の東京五輪での金メダル。1年延期は長かったろうし、決勝戦での思わぬ延長戦も、最後まで耐え抜いての優勝。培われた精神力の強さは、「令和の三四郎」にふさわしい。
 「柔道」は明治15(1882)年に嘉納治五郎によって始められた。「柔術」の危険な技を排除し、世界を回って外国人にも分かり易く教えた。その努力が実り、昭和27(1952)年に国際柔道連盟が創設された。
 そして、前回の東京五輪が開催された昭和39(1964)年から正式競技に柔道が採用されることになった。その裏には、多くの海外柔道選手を天理大学で受け入れて育てた中山正善・天理教2代目真柱の存在が大きかった。無差別級で金メダルを取ったヘーシンク選手(オランダ)もその一人だった。
 天理柔道といえば、忘れてはならないのが男子60㌔級でアトランタ、シドニー、アテネと五輪3大会で連続金メダルを獲得した野村忠宏さん。試合開始約1分、一瞬のすきをついて豪快に得意の背負い投げで一本勝ちした試合がよみがえる。
 その野村さんは、今東京五輪で聖火リレー最終ランナーとなった長嶋茂雄、王貞治、松井秀喜3氏の元プロ野球選手に聖火をつなぐ役割として、レスリング女子で五輪3大会金メダリストの吉田沙保里さんと共に競技場に登場した。
 この5人の中で、全競技を通してアジア人初の五輪3連覇の偉業を果たした野村さんだけがいまだに「国民栄誉賞」を受けていない。「時の政権の人気取りになっていないか」と揶揄(やゆ)する人もいるぐらいだ。
 そうであっては元も子もない。野村さんの国民栄誉賞の発表を待ちたい。日本のお家芸・柔道の名に恥じないためにも。
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