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2021.6.21掲載  社説「時々刻々」

コロナ禍の自助、共助、公助 過度な公助への期待露わ

論説委員 染谷和則

 新型コロナウイルスの感染拡大の混乱が長く続く中、自助、共助、公助について考えさせられる。3つの言葉はこれまで特に防災について言及されることが多く、有事の際はまずは救助を待つまでの水や食料をはじめとする備蓄品を各々が用意するようにと使われてきた。
 内閣府の防災白書の調査(平成29年)によると、自助、共助、公助の3つの中で重点を置くべきものを問う設問では、「自助」が39・8%になっている。平成14年時の調査の18・6%から大きく上昇した。
 一方「公助」は6・2%にとどまる。こちらは同24・9%から大きく減少させている。公助を「待つ」のではなく、日々、自ら有事に備えることが大切だと、さまざまな災害を経験し、また伝聞してきた我が国の人たちは考えるようになったのか。
 また違った見方をすれば、公助への期待が薄れてきたのか。ともあれ「自分のことは自分で守る」という意識に変わりつつあり、公助に必要以上の期待をしないことは防災や減災につながる。
 「ワクチン接種はいつからですか。まだですか」「まったく市は何をやっているんですか」「市のアナウンスが届いていません」「もっとちゃんと知らせてください」。間もなく迎える県都、奈良市の市長選と市議選の立候補を予定している現職には日々、メールや公開している自身のSNSのメッセージなどに「ここぞ」とばかり、公助を待つ人たちから〝貴重なご意見〟が届いている。
 これら貴重なご意見やご質問は、市のホームページやSNSを見れば済む話。さらに知りたいことがあれば、日々対応に追われている職員の手間を取ってしまうことに気が引ける方々も多いと思うが、電話すればいい。要は自分で動き、考え、調べればいい話だ。   中には市議に対し「ワクチンの接種は危険。市としてどう考えているんだ」などと、ぶっ飛んだ書き込みもある。これら声が大きく、公助に対して過度に期待をする方々が行政の仕事量を増やし、混乱を招き、社会の妨げになる。
 人々を恐怖させた新型コロナウイルスだが、いつの時代も最も怖いのはやはり人間―。そして自分や家族を守るのも、どんな時代であっても「自分自身」ではないか。
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