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2020.8.31掲載  社説「時々刻々」

クラスター発生の過剰な防御反応 「個人の尊厳」意識を強く持つべき

論説委員 寺前伊平

 新型コロナウイルス感染症という魔物がのさばり続ける昨今。クラスター(感染者集団)が、天理大学ラグビー部の寮で発生したことによる当事者、周辺学生への偏見、差別が露呈している。
 一つは同大学の教育実習生の受け入れ中止の申し入れや、実習生にPCR検査を受けさせるよう要請する電話が、県内外の中学、高校からあったこと。もう一つは部員ではない複数の学生がバイト先で「出勤はしばらく見合わせてほしい」と言われたということだ。
 教育実習生については、地域の人や保護者が不安になることが予想されることなどを理由に挙げている。突然の〝出勤停止〟を受けた学生は、訳も分からず夜も眠れない日が続いていることだろう。
 新型コロナウイルス感染症拡大は、みんな大切な人たちが健康状態でいられるよう、大変なストレスを抱え込みながら、日々生活していることを教えてくれている。だからこそ、一人ひとりがこれまで以上に人と接した時の言動には神経を配らなくてはならないはずだ。
 冒頭の2例は過剰な防御反応が先行したとしか見えてこない。教育実習生の受け入れ先やバイト先が、悪意を持って「排除」しようとしたのではないとは思う。しかし、結果として偏見、差別助長につながりかねないのである。傷ついた学生をどうフォローしたのか、逆に聞きたい思いだ。
 天理大学や天理市は、学生として、また地元で住まいする人間として、不当な差別につながらないよう、意を尽くした対策に取り組んでいる。ただ残念なことに、クラスターは成育できていない人間社会の「個人の尊厳」にかかわる課題をさらけ出してしまった。
 SDGs(17の持続可能な開発目標)の11番目に「住み続けたいまちづくり」がある。近い将来、天理大学を卒業して教師の道を進む学生もいれば、アルバイトをしながら一般企業などに就職する学生もいるだろう。「天理市に住み続けたい」と、このまちを愛している学生も多いはずだ。
 今回のクラスターは、学生のまち「天理」で起きた一つの事象として報道されているが、どこでも起こり得る可能性があるのである。謝罪を求め、けん制し、傷つけ合い、分断することが決してあってはならない。
 今だからこそ、全ての人が「個人の尊厳」を守る正しい意識を持つべき時である。それは「住み続けたいまちづくり」にもつながる。「寛容と包摂」をもった言動は重要である。支え合ってこそ、コロナ禍から抜け出すことができると信じたい。
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