2026.3.2掲載 コラム「而今」
水面に映る月は、波が立てば砕け散る。だが水が静まれば、再び丸く浮かび上がる。壊れたように見えたものが、実は形を変えて存在していただけだ。そんな光景を、氷上で見た気がした▼ミラノの五輪リンク。ショートプログラムでまさかのミスが出た。キス&クライで33歳の男が激しくうずくまる。相棒の24歳は、ただ隣に座っていた。言葉はいらない。9歳下の彼女が、静かに肩に手を置く▼翌日のフリー。「グラディエーター」の重い音楽が流れ出すと、2人の滑りは前夜の影を失っていた。投げ上げ、回転、着氷。すべてが完璧に決まる。世界歴代最高の得点が出た瞬間、氷の上で抱き合うその姿に、誰もが目を奪われた▼人は関係に名前を与えたがる。しかし命を預け合う2人の間にあるものは、きっと名前のつかない領域にある。少なくとも、観客席から簡単に言葉にできるようなものではない▼氷が溶ければ水になる。水が凍れば氷になる。形は変わっても、本質は変わらない。リンクに残った二本の刃の跡は、やがて氷と同じ色になる。それでも、その夜の滑りは消えない。(佑)
