2025.3.10掲載 コラム「而今」
「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」。幼少期から体が弱く、母に心配ばかりかけてきた石川啄木が詠んだこの歌は、年老いた母をふざけておんぶした時、その軽さに涙し、歩けなくなった心情を描いている▼国の新年度予算案をめぐって、自民、公明両党と日本維新の会は、教育無償化の具体策などで正式に合意した。近い将来、高校は親に出してもらう訳ではなく、国に出してもらう形になるようだ▼全国、県内ではさらに給食費の無償化に拍車がかかる。奈良市では新年度予算案に5億7900万円を投じ、市立中学校21校の学校給食の完全無償化を目指す。これも国や市に「食べさせてもらう」形だ▼歌集「一握の砂」に収録される冒頭の歌は、母の体重の軽さと反比例し、あまりにも重い母親の覚悟や愛、これまでの苦労と直面している。そこに教育のすべてがあるのではないか▼聞こえの良い無償化が氾濫する今、子どもたちが将来、親に感謝することはあるのだろうか。そして、親は子に胸を張れるのか。 (染)