奈良県内の政治経済情報を深掘

2021.8.16掲載  社説「時々刻々」

9月1日の「防災の日」控えて 事前の備えと心構え、わが身守る

論説委員 寺前伊平

 長雨が幾日も続いたせいか、県内の山肌が水分を含んで崩れ易くなっている所も多いはず。降雨が落ち着いて、数日経ってから危険度はさらに増す。束の間に本格的な台風シーズンの到来である。
 あさって9月1日は、「防災の日」である。昭和57(1982)年から、この防災の日をはさんで8月30日から9月5日の1週間を「防災週間」に定めている。9月1日は立春から数えて二百十日にあたり、台風が来襲する厄日とされてきた。
 実際は関東大震災が発生した日を防災の日にあてたが、創設のきっかけとなったのは昭和34(1959)年9月26日に発生した「伊勢湾台風」だった。全半壊・流出家屋15万3893戸、浸水家屋36万3611戸、死者4700人、行方不明者401人、傷者3万8917人に及び、戦後最大の被害を出した。
 県内でも死者88人、行方不明者25人に上り、当時としての経済損失は168億円を数えた。特に、吉野郡川上村が甚大な被害を受けた。中でも、山間の丘陵地帯にある高原地区では高さ200㍍、幅150㍍にわたって山津波が発生し、死者46人、行方不明者12人を出す大惨事。奈良の災害史をひも解いても、明治22(1889)年に死者249人を出した「十津川大水害」に次ぐ規模として残る。
 伊勢湾台風以後で記憶に残るのが▼昭和36(1961)年9月14日~16日の「第2室戸台風」▼同57(1982)年7月31日~8月3日の台風10号による「大和川大水害」▼平成10(1998)年9月22日の7号台風による国宝・室生寺五重塔損壊などがあった大風害―と続く。
 大和川大水害以外は台風襲来が9月に集中しているが、10年前の平成23(2011)年の「紀伊半島大水害」も8月30日から9月4日にかけてだった。台風12号が特に十津川村全土、五條市大塔町に人命を含め大きな犠牲をもたらした。  大正時代の物理学者・寺田寅彦は『天災は忘れた頃にやって来る』という名言を残した。この言葉は繰り返し繰り返し、頭の中で言い聞かせてきてはいるが、自然の猛威にはなかなか歯が立たないことも学習した。
 災害はいつ我が身にのしかかってくるかは分からない。遭遇した時のための、水、食料、機材などが備蓄されているか。ハザードマップを手に取り、避難所が確認できているか。ひどくなる前の昼間に避難することができるか。事前の備えと心構えが我身を守ってくれるはずである。
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