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2021.8.16掲載  社説「時々刻々」

上告しない「黒い雨」判決 被爆者認定基準見直しの好機に

論説委員 寺前伊平

 「この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持であった。…広島から四十何里東方の小畠村の人たちは、矢須子が原爆病患者だと云っている」(原文のまま)
 作家井伏鱒二の原爆小説『黒い雨』の冒頭は、意味深長な文章で始まる。76年前、広島に原爆が投下された直後に、放射性物質を含む、いわゆる〝黒い雨〟を浴びて、健康被害を受けた住民84人全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁判決が先月末に確定。菅義偉首相は上告しないことを決めた。
 東京五輪開催中での6日の広島原爆忌、五輪終了後の9日の長崎原爆忌、そしてきのう終戦記念の日を迎えた。新型コロナウイルス感染症拡大の中での「黒い雨」訴訟判決の持つ意味の重さが、ひしひしと伝わってくる。
 菅首相は談話の中で、84人と同じ状況の人たちについても、「訴訟への参加・不参加に関わらず、認定し救済できるよう、早急に対応を検討する」とした。一方で、衆院議員選挙が控える中で、広島では河井元法務大臣夫妻の買収事件があったことを踏まえると、政府が「上告しない」と発表したことは、政治決断の可能性も否定できない。
 広島高裁は、原爆投下直後に黒い雨が降った範囲などを国が調査しなかったことを「誠に惜しまれる」とまで言及している。このことは、どの地点でどの程度、放射線の影響があったかを「線引き」するのは難しいという意味でもある。
 天理市の並河健市長は、「黒い雨」健康被害をめぐる広島高裁判決や政府対応の報道を複雑な思いで見ていた一人。自身のSNSで、学徒出陣で陸軍の海上特攻艇部隊員だった祖父(現在96歳)が、広島被爆の報を受けて出動を命じられ、救護と遺体や瓦礫(がれき)の対応に当たったことについてふれている。
 その中で、並河市長は「戦後50年以上経た、私の学生時代に、祖父は被爆者手帳を申請しました。部隊での行動記録が明確だったため、円滑に受けることができました」と記している。
 被爆者健康手帳の交付を求める裁判は、長崎でも続いている。国の援護対象区域外で「黒い雨」を浴びた人たちは、訴訟を起こして被爆者と認められないと救済されないのである。被爆者認定をめぐる行政の審査基準の見直しが、喫緊の取り組む課題である。行政は審査基準の幅を広げて、なおかつ明確にすべき時である。
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