奈良県内の政治経済情報を深掘

2021.7.12掲載  社説「時々刻々」

平和の祭典開催の反対依然多く 望まれない五輪は政治の責任

論説委員 染谷和則

 いよいよ平和の祭典オリンピックが開幕する。しかし東京の新型コロナウイルスの感染者は増加傾向にあり、依然、不安の声が多い。政府は、東京都などに提供されているまん延防止等重点措置の期限が切れたことを受け12日、感染者数の動向を見て観客上限1万人か無観客かを判断するとしている。
 スポーツは経済的にも精神的にも、われわれに大きな力をくれるのは疑いないところ。しかしながら、この時期にまだオリンピックの具体的詳細は決定していない。民間の調査会社、日本トレンドリサーチが6月24日から29日までの期間で全国2500人を対象に行った調査では、59・6%の人が「中止してほしい」と回答した。
 このアンケート調査の中、注目すべきは「東京オリンピックが予定通り開催されたとしたら観戦しますか」の設問。「観戦しない」と回答した人が47・2%にも上った。この中には「オリンピックには関心があるが、この時期に開催しようとしていることで興味が薄れた」「感染予防の為にさまざまなイベントが中止延期されている中で五輪だけ開催されるとなると、何か違和感があり、心から応援できる自信がない」などの意見があったと結論付けている。
 この調査が国民の総意を示すものではないが、スポーツそのものやオリンピックの意義に疑念を持つ人は相当数いる。このような意見が出たり、感情が芽生えるのは、政治のあり方にすべての責任がある。
 注目された都議選は、自民が一定数の議席を獲得し、改選前勢力を拡大したが伸び悩んだ。予想された通り都民ファーストは議席減、立憲は議席を倍増させたが、共産との選挙協力がより密になり、共産への依存度が高くなったといえる。
 優先順位を見失いつつある都民ファーストの〝一人負け〟だが、都知事はのらりくらり。オリンピック開幕式には元気な姿でメディアに姿を見せることが容易に想像がつく。
 誰も決められない、誰も責任を取らない政治が続く中、いつの間にかオリンピックの開幕の是非は置き去りに、観客を入れるかどうかだけが議論になってしまっている。
 平和の祭典の開幕を機に、この平和に慣れすぎ、何もかも無関心になってしまったわれわれ大衆がもう一度、主権者たることを肝に銘じなければいけないのではないか。
menu
information