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2020.5.4掲載  社説「時々刻々」

大東亜戦争の意義 正しい歴史観を持とう

論説委員長 田村 耕一

 戦後75年もたった今日、先の大戦という言葉は空虚だが、太平洋戦争という言葉のほうがもっと空虚である。わが国は、東洋の平和と欧米列強からの解放・独立を目指し、大東亜共栄圏構想を提唱した。
 しかし、これは東京裁判による自虐史観もあって戦後タブー視されてきたが、歴史的事実は事実として語らなければならない。
 かつて、インドシナ半島のベトナム、フィリピン、インドネシア、ミャンマー(以下ビルマ)などは、仏、米、蘭、英等の植民地であった。先の大戦によりそれらの国々は独立を果たしたと言える。当時、日本の一連の動きが欧米諸国を刺激したことは想像に難くない。それゆえか日本もまた、欧米、とりわけ米国から強い圧力を受けた。
 その結果、昭和16(1941)年12月、大東亜戦争(国の公報による正式名称)に踏み切った。戦後、この戦争は日本が好んで仕掛けたかのように喧伝されているが、それは誤りである。
 戦後、日本を統治した連合国軍最高司令官マッカーサーは、帰国後、昭和27(1952)年5月の米国議会で「今次の日本の戦争は主に自衛のためであった。日本には、石油、鉄、錫などの資源がない。あのままであれば、国内に失業者があふれていた」と述べ、日本の開戦に理解を示した。
 われわれ日本人は、戦後史観による罪悪感を背負わされてきたが、今回のビルマ訪問では、このことを強く否定された。むしろ、先人の働きにより、日本が極めて好意的に受け止められていると実感できた。また、現地の多くの人々が日本を信頼し、感謝しているという事実にであった。
 ビルマ戦線で、最大の激戦かつ失敗と言われるインパール作戦ではあるが、一方で、日本軍の訓練を受けたアウンサン将軍(スーチー女史の父)が、ビルマ独立義勇軍を率いて英国と戦い成果をあげた。
 独立したビルマの初代首相バー・モウは、「真のビルマの解放者は、アトリー英国首相とその労働党政府でなく、東條大将と大日本帝国政府であった」と述べた。さらに、ビルマの独立がインドの独立へとつながり、東アジアの今日に至っている。
 われわれは、歴史を歪曲したり美化することなく、正しい理解のもと、胸をはって世界に向かおうではないか。
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